おまえは、きれいだなあ。 主語のどこかしらが抜け落ちているのだろう、そんな歯の浮くような台詞と共に、指に口づけを贈られる。 正面に座る彼の前で、グラスの赤い液体が部屋の灯りに透き通って見えた。
「…これはまた、随分と酔いましたねえ」
彼からさりげなく手を取り戻し、自分のグラスに口をつけて傾ける。 据わりきった彼の目に見つめられて、からかうようにその顔の前で手を振ってやると、またその手を取られそうになった。 思わず引っ込めれば、彼は不機嫌そうにこちらを睨んでくる。
「…なぜ避けるんだ」
「やだなあ、避けてなんかいませんよ」
そうかわしてやろうとしたのに、相変わらず彼は難しい顔をしたままだ。 はあ、とため息をつきつつ、スコーンに手を伸ばす。 今まで何度もこうして酌み交わしたことはあるが、彼がこんな風に酔うのは見たことがなかった。 珍しく彼に飲みに誘われたから乗ってやったというのに、この酔い方はないのではないか。 ああ、もしかしたらなにか愚痴をこぼしたくて誘ったのか、いや、だがしかし、と悶々と考えていると、おもむろに彼が立ち上がった。 なあ、とだれにともなく呼びかけつつ、ふらふらとわたしに向かって歩いてくる。
「…ザークシーズ」
椅子ごと彼のほうに向いたと同時に、両肩を掴まれた。 またなにかされるのかと身構えれば、そのまま膝を折って腕をわたしの腰に回してくる。 まるであまえるかのようなそのさまに、引き剥がそうにも気が引けてできなくなってしまった。 ほんとうに、いったい、どうしてしまったというのだろうか。 聞こえてくる呻き声に一瞬、こんなところで吐いてくれるなよと戦慄が走る。 だが、そんなふざけた思いは、ぽつりと呟かれた言葉に霧散した。
「じゃまでは…ないか」
くぐもった声。 突然のことにわけがわからず聞き返すと、わたしが、とつけ足された。
「じゃまなら、すぐに…離れてやるから」
だから、言ってくれ。 そう言う彼の腕に力がこもる。 言葉を返せないまま、その腕が、身体が震えているのに気づいてしまった。
「おまえには…もう、なにも…」
「…いいえ」
あまりにもせつなげな声に、わたしは半ば衝動的に、彼の髪に手を伸ばしていた。 ふわりとしたやわらかいそれをそっと撫でると、かすかに肩を跳ねさせた彼はゆっくりとその顔を上げる。 眼鏡の奥にあるいつもの鋭い目は酔いに潤んでいた。 理性のかたまりのようないつもの締まった表情はすっかり姿を消し、今やただただ不安の一色に染まっている。
「レイムさん…」
どうして、そんな顔をするのか。 さっきの言葉はどういう意味だったのか。 問いただしたいことは数えきれないほどあったが、今の彼にそれを訊いてもまったく意味がないような気がした。
「ザクス…?」
舌ったらずな声に呼ばれ、視線を同じ高さにしようと椅子から降りる。 だが、その時目に飛び込んできた赤らんだ頬に、ああ、とわたしは現実に引き戻された。
(わたしはなにを、ばかなことを)
そうだ。 彼はただ、酔っているだけなのだ。 ただ、酔いに身を任せているだけなのだ。 酒に我を忘れることなど、よく聞く話ではないか。
「…さあ、そろそろお開きにしましょうか」 苦虫を噛み潰すような思いで、わたしは彼にそう囁いた。 期待してしまったのだ。 こんなただの酔っぱらいに、一瞬でも期待してしまっていたのだ。 なにを考えているのか。 なにを、うぬぼれているのか。 そう自分を叱咤せずにはいられなかった。
「ほらほら、立って」
彼を介抱しようとその二の腕を掴む。 しかし彼は再びわたしの肩に手を置くと、ぐっと体重をかけてきた。 唐突なそれに堪えきれず、椅子のある背後に倒れ込む。 ぶつかる、と咄嗟に目を閉じたそのとき、彼の手に頭を支えられた。
「…ザクス」
椅子の脚が絨毯に擦れる音に目を開ければ、ぼんやりとした覇気のない双眸がわたしを見下ろしていた。 組み伏せられたのだということに今さら気づき、どくんと胸が高鳴る。
「レイム、さん?」
顔が近づく。 間近のそれが意外と精悍なものだと気づいたときには、彼はわたしの首筋に鼻を擦り寄せていた。 かかる吐息がくすぐったい。 ぴったりと密着した身体を抱きしめたくて、けれど理性がそれを許さなかった。 彼は、酔っている。 酔っているだけなのだ。 そう思うと、涙が出そうになった。
「やめて…ください」
これ以上、触れないでほしかった。 もうこれ以上、期待をさせないでほしかった。 喉元がきゅうきゅうときつく締まり、唇がぶるぶるとわななく。 耳に、やわらかななにかが触れた。
「ザークシーズ…」
かすれたような、低く甘い声が鼓膜を震わせた。 耳をふさぎたい。 瞼を、閉ざしたい。 今だけは、感覚のすべてを投げ捨ててしまいたかった。 彼を突き飛ばして、逃げてしまいたかった。 なのに身体は動かない。 彼という存在を前にして、くぎづけになっていたのだ。 爪が食い込むほど、手をかたく握りしめる。 唇をぎゅっと引き結んでじっと耐えていこうとしたそのとき、彼が囁きを落とした。
「えっ…?」
それは小さなちいさなものだった。 聞き取れるか取れないか、そのくらいの、かすかな囁きだった。 顔を上げた彼に、きしむように動く目を向ける。
「…ずっと、言えなかった」
でも、やっと。 その顔は穏やかで、それでいて強ばっていた。 うれしそうで、しかしなにかにおびえているようだった。 それは酔いからは程遠い、はっきりとした恋慕の表情であった。
「…レイムさんっ…!」
もう抑えられなかった。 もう、我慢がならなかった。 その背に腕を回し、肩口に顔をうずめる。 熱い目頭から流れる感覚さえいとわしかった。 ぎこちない手に、そっと頭を撫でられる。 やさしく。 ひどく、やさしく。
「じゃまでは…ないか」
さっきよりも心細げに震えた声に、わたしはただひたすらに首を振った。 そんなわけがない。じゃまだなどと、そんなことがあるわけがない。 そう言いたくても、口を開ければ出てくるのは情けない声ばかりだった。 だが、彼はふっと息をつく。
「…そうか」
よかった。 そう呟いて、彼は突然倒れ込んできた。 何事かと慌てて目を上げると、耳許から間の抜けた寝息が聞こえてくる。
「…なんですか」
どうやら、酔い潰れたらしい。 自分は言うだけ言っておいて、と口をとがらせつつ、一抹の不安が心に残る。
(ほんとう、なんだろうか)
あの囁きを信じてもいいのだろうか。 あの表情を、信じても。 隣から聞こえてくるのはただただ安堵に満ちた寝息ばかりで、訊いても返事などしてくれるわけがない。
「…もう、めんどうくさいひとですねえ」
そう彼の頬にそれを寄せると、彼が少し、笑った気がした。





酒は呑んでも
(素面でなど、言えたものか!)



甘め…になっているでしょうか…?(汗)
兄さんに「レイムさん」と何回も呼んでほしかったんですが、結局三回しか呼んでませんね(笑)むしろレイムさんのほうが多いという…。ちなみに兄さんが乙女なのは実は酔っているからです^^
あと、また兄さんが泣いているんですが、やっぱり奥底の変態部分になにか願望があるんでしょうね! 泣き顔とk(すみません)
…はい。わたし個人の萌えをいろいろ詰めこんでみましたので、お気に召していただければ幸いです…!
フリリクありがとうございました!



Mr.homeのゆべ様からフリリクで頂いてきました!
面倒この上ない内容だったにも関わらずこの神っぷり…もう鼻血出すしかない……!!

ありがとうございました!

 

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