かたわらの、立てた片膝に顔をうずめた青年がじっと床を見つめている。裂けた頬からにじむ血がなにかに擦れたのだろう、その顔はひどく汚れていた。それでも彼は、傷口を拭わぬどころか顔色ひとつ変えない。がり、と。えぐる音がする。戦場でいびつな鋼を振るう手に、赤い線が浮かび上がっていくのをわたしは見ていた。
がり、がり。身をけずる爪は止まらない。アーチャー、と。咎めるように呼んでも、なんだと気のない声を返すばかりだ。傷つけるのをおさえつけるように、手を伸ばす。かたく冷えた肩だった。
「だめよ、アーチャー」
ゆっくりとこちらを向いた鈍色はうつろだった。剣のようだ。反射するばかりで中身が見えないその瞳がふいに、閉じこもったこどものように思えて、仕方がなかった。血のこびりついた爪がかなしくて思わず、指先に力がこもる。だめよ。それはまるで、つぶやいたわたしの方が聞き分けのないようだった。
「……なあ、マスター」
青年のうすい唇が緩慢に動く。瞳とおなじく感情のない声が、これはほかのだれかの話だとでもいうように、ぽつりと語り出す。
私が殺したんだよ。
きみのように生きたがる人々を何人も、撃ち落としたんだ。そのくちべりは何時の間にか引きつりはじめて、仕舞いには笑っているように見えた。言い切った後でわななく唇を噛み締め、青年は黙り込む。せわしなく動く双眸は次のことばを探しているというのに、口を開けば情けない嗚咽が溢れてしまうとでもいうようだった。
だからお願いだから私を、軽蔑してくれ。
どうか、と。やっとのことでか細くつぶやきながら彼は、わたしの腕をとった。あかく汚れた指先で手の甲を、そこに刻まれた印をなぞられる。そのやけに幼い怖れるような手つきのらしくなさに、わたしは微笑んでいた。
だめよ、アーチャー。
大丈夫だから。たぐった制服の袖で男の頬を拭った。傷口にがさついた布が触れる感覚に青年がぴくりと肩を揺らすのに構わず、わたしはその肌に流れる血を乱暴に拭き取っていく。べとついた赤色に汚れていく衣服に、戸惑うような目がわたしを見てまたその唇を意味もなく震わせるから、気づけばこみ上げるなにかに耐えきれず彼をだきしめていた。
鼻先をうずめた首筋からは錆のにおいがする。アーチャー。呼べばそっと、背中に彼の手が触れた。ああけれど、ただ触れるだけで、決してわたしをだきしめかえそうとはしないのだ。わなわなと震えるその腕はきっと、なにかすがりつくものを探しているはずなのに。
マスター、私は。
でも、もう充分すぎるほど、しあわせなんだ。沈黙ののちわたしのうなじにささやきかけられた声は、かなしいくらいにちいさかった。
うれいのこども
(しあわせになれない少女と)
(しあわせがこわい青年のおはなし)