鈍い頭痛に導かれるように覚醒する。目を開くと、そこには真っ白な天井があった。マイルームにあるものとは異なる橙がかった灯りと、あの空間にはなかった寝台に自分が横たわっている旨に気づいて辺りを見回せば、すぐ傍らに赤い外套の青年の姿を認めた。どこから持ち出したのかパイプ椅子に腰掛け、腕組みして目を閉じる様は眠っているようにも見える。どちらであったにせよ、アーチャー、と小さく呼べばすぐに瞼があがることは、経験でもうわかっているのだが。


君は、ばかか。


浴びせられた声音はひどく冷たかった。怒鳴られたわけでもないのに身がすくみ、胎の内側から凍りつくような低温の視線にさらされて、目覚めたら真っ先に口にしようと心に決めてあったはずの謝罪さえしぼんでいく。鋼色の瞳はじわりじわりと燃える激情を隠しもしない。仄暗い光をたたえて睨みつけてくる弓兵に恐れを抱いたのは、きっとこれが初めてのことだった。あるいは戦闘時に敵を射抜く鷹の眼は、これに似ていたのかも知れない。


アリーナで。この弓兵の背後をとった敵性プログラムの攻撃に自ら身をさらした。言ってしまえばそれだけのことなのだが、その受け止め方が余計に彼の癪に障ったらしい。サーヴァントを庇うマスターなど聞いたことがないとは彼の談だ。彼の代わりによくわからない攻撃を受け、当然のこととして意識を失った。そして目覚めた場所が保健室ということは、彼が運んでくれたのだろうか。さらに居たたまれない。


すっかり萎縮して黙り込んでいると、弓兵は盛大に息を吐くのだった。いっそ大袈裟すぎるほど肩を揺らして失意を表した弓兵の様に自分は、唇を噛んで耐えることしかできない。この空気に堪えきれずに逸らし、泳がせた視線をどう思ったのか、弓兵は自分の横たわる寝台の脇に腰掛け直し、こちらから顔を背けた。次に胸を刺すのは物音のひとつもない、完璧なまでの沈黙だ。小言のひとつすらないことが逆に、彼の怒りの熾烈さを雄弁に物語っている。


「……魔術回路の一部に大きな損傷があるようだ。魔力の供給が途絶えている」


ここまで深くに傷を負えば、生半可な治療では回復など出来まい。明後日のほうを向いたままで弓兵が呟いた。その報告に魔力が不足しては苦しくないのかとおそるおそる問えば、回路を乱されて苦しいのは君の方だろうと、平静を装った、しかし怒りや他の感情に震えた声が返って来る。ああ、そう、と。思いのほか面倒なことになってしまったと、他人事のように考えているのが伝わったとでもいうのか、弓兵は途端に、キッと眉を吊り上げてこちらに向き直る。すわ説教かと身構えるが、彼は陸に打ち捨てられた魚のようにはくはくと唇を戦慄かせるばかりで、どうやら反射的なものであったらしい、結局それはなんという行為にも結びつかず、ただ固くかたくその薄い唇を引き結ぶのだった。


やり場のない激情を持て余している。平素の沈着ぶりと似ても似つかない、焦るような表情がいとおしく思えた。彼もこんな顔を、することがあるのだと。まるでただの迷子ではないか。ごめんねと絞り出した、掠れうわずった声に彼はなにを感じたのだろう。鋼の瞳がほんの一瞬ゆらいだ。


「……このまま魔力の供給がなされなければ私は、次の決闘を待たずに消えるだろう」


そうなれば不戦敗だ。だが、しかし。そう、度のすぎた悪戯を告白する少年のような後ろめたさをもって彼は告白する。この状況を突破するに策がないわけではないのだと言う。けれどその方法は記憶の有無以前に、心のあり方として魔術師でない者に強いるには、少なからず酷であろうと。首をかしげた自分の様に彼はいっそう歯噛みするのだった。だからな、と、上手い説明が思いつかないらしく口ごもり、かといって行動で示すには危険が過ぎるのだろうか、疑問符を浮かべるしかない自分の前で彼は唸る。数十秒ののちに覚悟は決まったか、マスターと呼ぶ声は平素より固いようであった。


自分のそれより一回り以上大きい彼の手が頬に触れる。親指で唇を軽く押され、なぞられる心地よさに目を細める間もなく、その手は顎、首をなぞり、胸の中心をすべりおりて下腹部のあたりに至る。ここに、と。その心なしか張りつめた声音で、彼がなにを最も案じているのか察した。言葉通り、ここに、この胎に。それを致す覚悟は、あるのかどうかと問うのだ。 


いやなら、あきらめろ。


突き放す言葉はいつでも気遣いの裏返しだった。無論、これも。微笑ましいほど不器用なひとだ。だからこそ返して問う。あなたはそれでいいのかと。自分はどうなってもかまわないのだ、卑屈になって言うのではなく、しょせんはかりそめの命なのだから。それでも彼がマスターではなく、ひとりの人間としての覚悟をも試すというなら、こちらとて同じである。サーヴァントは剣であり楯であると言われたところで、この弓兵は己を持ち、感じ、人と変わらぬ機微をそなえている。なにより本来、ここまでする義務はおろか義理すらないというのに彼は、まったく、どうしようもないほどお人好しなのだから。


頭の脇に手をついて覆いかぶさるようにして見下ろす弓兵は、刃に胸を穿たれでもしたかのような、苦痛に歪むひどい表情をしている。自分から言い出したくせに、いやならそちらこそあきらめてかまわない、責めたりしないという旨を伝えるが、彼は首を横に振った。私が。もっと注意を払っていれば、君は。この弓兵はどうやら身勝手な行動をとった主ではなく、それを見越して振る舞うことの出来なかった自身を責めているようだった。ああ、なんてばかなひと。しかし責任感だけでこんなことをさせるくらいなら令呪をもってしてでも止めるというのに、彼の言葉は、まだ続くのだ。


「……聖杯を、君の手に」


そう、誓っただろう。


返事を迷う間にも弓兵は身を屈め、自分は思わず瞼を伏せる。マスター、と、どこかすがるような響きの呟きに応えようとした声は耳朶に触れた唇の柔らかさに、吐息となって霧散した。





ゆきずりの比翼



(なにもかもが仕方ない)
(はずだった、のに)

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